西三田団地に暮らす-1

2009.06.26 Friday

0

    西三田団地との出会いは2007年の8月。住宅購入であちこち歩き回っている時でした。


    どこの物件も意にかなわず、妻の顔に疲れが見え始めました。


    どうも、私たちが求めているものとは方向が違うのかな?


    そう思いはじめました。


    広い敷地に芝生があって、大きな木もあって、小鳥が囀っていて、やはりあの場所しかない。


    私はそう確信し始めました。

    ダメモトで、恐る恐る妻に提案してみました。


    私「うん(咳払い)。あの、思うんだけどね。団地もいいよね」


    妻「はあっ???」


    私「西三田団地だよ」


    妻「何言ってるの?」


    問題外という顔でした。



    団地と聞くとあまりいいイメージを持たれませんが、昭和40年代初め、団地に住まう方々をある種の羨望を込めて団地族と呼んでおりました。


    彼らは、一般の家庭よりいち早くパン食、椅子の生活を取り入れ、デコラのテーブル、プラスチック素材のキッチンウェアに囲まれ洋風の生活を謳歌。


    現在のように個性的なマンションが出てくるのはそれ以降ですから、昭和41年当時の団地生活がいかに時代の先端を行っていたかが伺えます。


    販売価格は、当時の金額で500万近く。

     

    現在の価値に換算するといくらかわかりませんが、入居倍率もかなり高く、その上、現在のようなローン制度もなかったので、即金での支払いだったそうです。


    要するに、高倍率に当選する運と経済力を持ち合わせてないといけなかったのです。


    丘の上の団地から通ってくる友人たちは、身なりも明らかに違い、眩しかったのを記憶してます。



    翌週末、気乗りしない妻の手を引いて、何とか西三田団地へ行きへこぎつけます。


    地元の不動産屋(双葉ハウス)さんでの団地の物件公開です。


    ダストシュート脇の古めかしい階段を上がっていくと、担当の不動産屋さんが8月だというのにクーラーも無い部屋でひとり留守番をしていらっしゃいました。


    暑いのにご苦労様です。


    畳と襖は新しいのに替えられ、何回か改修を経た様子でした。それでもチョコレート色の鴨居や古い建具たちは、しっかりと昭和40年を主張してました。


    そこに住んだことも無いのにこみ上げてくる懐かしさ。


    「ただいま」


    そう言いたくなってしまう雰囲気。


    『昭和40年代への里帰り』そんなタイトルでもつけましょうか。


    近隣の街が次々と姿を変えて行く中にあって、西三田団地はポツンと40年前のまま。夏の午後の日差しの中、高齢化で主を失った公園のブランコが印象的でした。


    南北の窓を開放すると気持ちよく風が抜けて行きました。眼下には現在のマンションでは考えられない贅沢な広い敷地に、40年たった桜や欅が大きな木陰をつくってました。

    その晩、妻を説得です。


    元々今回の物件探しは新築物件から始まりましたので、ビンテージ団地とはだいぶそれてしまいました。


    私としては念願の団地に住めるか否か、勝負の分かれ目です。


    月島でもんじゃを食べながら落とした妻です。


    でも今回は難しそう。


    他の手でいきましょ。

    「・・・(突然)そうそう、新築マンションもしょせんコンクリートの箱だからねェ。」


    「・・・?」


    なに、何を言っているのという顔です。


    「だからね、マンションというのはね、コンクリートの箱の中にただ床を張って壁作ってるだけなの」


    続きます。


    「概観なんか二の次。コンクリートの箱の中を新築してしまえば、新築マンションと同じってわけ。わかる?」


    ちょっと強引です。


    「自分たちの好きなように箱の中を仕切り、床を張ったほうが素敵でしょ?


    床も建具も白木にしてさ」


    図画工作好きの妻の表情が変わりました。


    早くその先を続けよという顔です。


    でも、わざと間を置きます。


    ほぼ勝利は見えてきましたが、ここで焦ると、釣りかけた魚は糸が切れて逃げられてしまいます。


    かといって、下手に時間を稼ぐと、相手の機嫌をそこねます。


    次にくるのは、一言で落とすメインキーワードでなければいけません。


    頭をPentium?から、Core2プロセッサに切り替えます。


    しかし、出てきません。


    妻と目が合ったまま、時間だけが過ぎて行きます。


    とそのときです!誰かが私の耳元で囁きました。

    「ホッ、北欧の古いアパート。そう! 北欧の古いアパートもそうやって時代の応じリノベーションされ、世代を超えて大切に使われてきたんだよ!」


    目をつむって、堰を切ったようにしゃべりました。


    「・・・・・」
    妻は無言です。


    でも、目が輝いてます。

    陥落です。

    北欧の古いアパート。い〜い響きです。自分でも予期しない言葉が飛び出してきてビックリです。


    それより、北欧の古いアパートなんてTVでしか見たことないのに、実体験的に話せる私にビックリです。

    その晩から妻は団地リノベーションの情報収集へ。

     

     

    その2年後、まさかここで北欧雑貨のウェブショップを開業し、本当に北欧へ行くようになるとは・・・。

     

    そしてさらにその2年後、会社を早期退職し本業になるとは、夢にも思っていませんでした。

     


    次回は、団地を手に入れるまでのお話しをしたいと思います。

     

     

    ↓リノベーション中の我が家です


     

     

    Webショップ-北欧雑貨 空 の紹介

    2009.06.24 Wednesday

    0

      はじめまして。店長の夫です。


      「Webショップとブログはセットでしょ? お願いね」


      鶴の一声、いえ妻の一声でブログのトップを切らせていただくこととなりました。


      早速、当Webショップの紹介をさせていただきましょうか。


      現在、事務所は自宅に構えております。


      場所は神奈川県川崎市多摩区の西三田団地という所になります。


      新宿から小田急線で約25分、生田駅から南へ約10分。緑豊かな丘陵に45棟、約1000戸の集合住宅です。


      全棟が昭和41年から42年にかけて、旧日本住宅公団(現UR都市機構)によって分譲された超ビンテージマンションです。

      高度経済成長期の1950年代後半。都市への人口流入が進み、極端な住宅不足に直面していました。政府は中産階級に良質な住宅を供給する目的で、1955年日本住宅公団を設立。野山が造成されされ、次々と集合住宅が建設されていきました。


      ここ西三田も、もとは丘陵地に広がる畑で、夏にはスイカが収穫されていたそうです。地元のお年寄りに聞いた話しによりますと、生田中学校ができた時には、グランドの地ならしをするために近くの方が勤労奉仕に駆り出され、休憩時にはスイカが振舞われたそうです。


      1960年に入ると、そのスイカ畑に槌音高く上がり、ブルドーザーが林を切り開き、道路が建設され現在の西三田団地が誕生しました。


      自然が破壊され誕生した新しい街に気持ち程度のわずかな樹木が植えられましたが、無機質なコンクリートの建物が起立しているだけの茫漠たる風景でした。


      それから40年。当時木陰にもならなかった植木が、今では大きく成長し、貴重な緑の空間を私たちに提供してくれてます。


      また、定規で線を引いたような画一的なデザインの箱型集合住宅は、40年を経た今、逆に昭和レトロを感じさせる一つのオブジェとして、今注目を集めています。


      夕方になるとどこかのお宅から晩ご飯の匂いがしてきたり、生活音と人の温かさを感じる昭和の長屋と言ってもいい懐かしさに溢れています。


      古民家暮らしという言葉があるのでしたら、古団地暮らしという言葉があってもいいのかなと思います。


      ヨーロッパの100年以上前に建てられた古いアパートが、時代に応じリノベーションされ、現在も使われているように、そろそろ日本もそんなことを考える時期に来ているのではないかと思います。


      今、流行っている言葉にすると「団地再生」でしょうか?

      45年前に建てられた古団地を現代風にアレンジして、その中に北欧のビンテージの食器や布をディスプレイしてみました。

       

      昭和レトロと北欧の融合。


      北欧雑貨-空 の事務所はそんな環境にあります。

       



      昭和41年の西三田団地全景です。1街区から3街区までが完成してます。

       


      現在の西三田団地

      大きな地図で見る

      にほんブログ村 雑貨ブログ 北欧雑貨へ

      にほんブログ村